トライセラ、音飛び、J-POP

先日、TRICERATOPSトライセラトップス)のボーカル、和田唱と女優の上野樹里の結婚が発表された。トライセラトップスはもちろん恐竜のトリケラトプスのことで、トリオバンドの自分達を3本の角になぞらえているのだろう。知らないけど、多分。

最近はシングルヒットこそないが、ずっと安定して活動を続けているバンドで、僕も昔はよく聴いていた。「SECOND COMING」の歌詞からエントリのタイトルをつけたこともある。

J-POPのバンドとしては非常に音数が少ない。もちろんギターを重ねたり、サポートメンバーを入れたりすることも可能で、実際そういう曲もあるが、基本的に3人だけ。逆に最近の若いバンドは(一見)ロックっぽいバンドでも、すぐにシンセやストリングスを入れたがる。もちろん好みの問題なのだけれど、あまり魅かれない。

(先週の)土曜日。電車で仕入れ4軒。
1軒目の17号北浦和店で坊主。次は浦和南元宿店に行くのだが、電車だとどちらも駅から微妙に遠いし、乗り換えもある。多分バスがあると思うが、結局2kmほどを歩いた。南与野の駅には「さいちゃり」というレンタサイクルがあって、以前何度か利用したこともあったのだが、登録していたガラケーを解約して、そのままになってしまった。星野源セーラームーンのミュージカル、ウルトラマンなど13点で29Kの仕入れ。

月曜日。電車で仕入れ4軒。
またモバイルバッテリーを忘れてしまったが、サブ携帯があって助かった。3軒目は久々の浅草稲荷町店。いつもは地下鉄の稲荷町駅から行くが、今回は上野駅から浅草通りを歩く。上野警察署の前を通ると、20代の頃泥酔して一泊した(というか、させられた)ことを思い出す。気がついたら三畳くらいの部屋で毛布をかけられて寝ていた。トイレに行きたかった(もちろん吐くために)が、中からは開かないようになっていた。今の自分があるのは、僥倖と言ってもいい。もっと酷いことになっている可能性はいくらでもあった、とつくづく思う。ダウン・タウン・ブギウギ・バンドOLIVIA因幡晃KOKIAなど15点で27Kの仕入れと相変わらずしょぼいが、1枚かなりデカい(当社比・皮算用)のがあって機嫌の悪いはずもなく。

火曜日。
夜、サッカーを観ようとテレビを点けたが、香川が出ないようなので消した。チームの勝敗に関係なくプレーを観たい選手というのは多くない。最近は好調不調の波が以前より少なくなった気がする。

木曜日。
6月9日で「ロックの日」だってさ。うっさいんじゃボケ。おっと失礼、南野拓実リスペクトです。

音飛びについて。その頻度は少ないが、非常に厄介な問題。というのは、環境によって発生したりしなかったりするし、そもそも客の側から「音飛びした」と言われたらそれまでだからだ。疑わしきはカスタマーの利益に。

僕の仕事部屋には再生環境として、CDデッキとCDラジカセとPCのドライブがあるが、CDラジカセが1番音飛びしやすい(ような気がする)ので、音飛びが理由で返品されたCDやキズが気になるCDなんかはこれを使ってチェックしている。CDラジカセはほとんどそれだけのために置いてある。というわけで、返品されたCDを3回続けて聞いたが問題なかったので、「問題なし」で再出品しようと思うのだが、返品したのと同じ人に買われたらどうしよう、といつも思う。

金曜日。
5月14日に売れたものが「受取要求がありません」という理由で返品。疑わしくないものもカスタマーの利益に。

BABYMETAL世界を席巻?マーティ・フリードマンが語るその魅力
日本語と英語があり、内容がちょっと違う。「アイノート(ainote)」って何かと思ったら「合いの手」のことだった。正直BABYMETALのことよりも興味深かったのは、

The late 1990s was the golden age of J-Pop and I became a very big fan. Up to then Japanese bands were mostly copying popular American acts like Billy Joel, The Carpenters, and Chicago. But in the late 1990s J-Pop developed its own distinct, Japanese style.

1990年代の終わりはJ-POPの黄金期で、僕は大ファンになった。それまでの日本のバンドはビリー・ジョエルカーペンターズ、シカゴなんかのアメリカン・ポップスのコピーばかりしていた。でも1990年代の終わりにJ-POPはその独自の明確なスタイルを発展させたんだ。(拙訳:ムラシカ)

僕自身はJ-POP誕生以前に10代を過ごしたせいもあり、その「アメリカのコピー」つまり日本のブルース・スプリングスティーン、日本のリトル・フィート、日本のオーティス・レディングなどを好んで聴いてきたのだが、それらを「所詮コピーじゃないか」と毛嫌いする洋楽ファンは昔からいた。確かに日本人というか、日本語を母国語として生まれなかったら、わざわざ聴くことはなかっただろうなあとは思う。

しかし現在のJ-POPは、それらのコピーから継承・世代交代を経て誕生したものであると思う。言わばコピーからオリジナルが生まれたわけだが、そのオリジナルには個人的にあまり魅かれることがない。オーソドックスと退屈、あるいはオリジナルとガラパゴスというのは裏表なのだろう。

1:15〜ティピカルなJ-POP。確かにいきものがかりっぽい。

最近売れたもの

もちろん仕入れたのはずっと前。しかし、49歳って…合掌。

最近の(最近も)売上はずっと良くない。価格改定をすれば一時的には回復するが、そんなんで売れてもあまり嬉しくない。

マルクスによれば、小資本の熟練労働者は新しい生産様式によってその価値を奪われるらしい。大局的に見れば、これはまあその通りだろう。かといって、さらなる熟練を目指す以外に、今の自分に何ができるというのか。あるいはそもそもせどりに熟練などないのだろうか。