コンサる・コンサれる

高梨W杯総合V:小さな16歳快挙 ソチに期待
例によって、スキージャンプに興味はないのだが、
この記事がひっかかったのは、
五輪に女子のスキージャンプはなかったはずだからだ。
それはこの漫画における根幹設定だった。


この人の作品は荒々しくてかなり好きだ。
絵柄は好みが分かれるところだと思うが、僕は好き。
早く新作も読まなきゃ。

調べてみると、ソチ五輪から女子も採用されたらしい。
本当にタイミングって大事だ。

そして今朝のニュース。
沙羅、納得の銀「サラ選手が素晴らしいジャンプだった」

ライバルの名前もサラって、現実が漫画を模倣してるみたいだ。

★★★

去年の売上データから、コンディションの割合を出してみた。
「新品・ほぼ新品」は2%、「非常に良い」は28%、「良い」は61%、「可」は9%。
これをさらに仕入れ金額別に分けて、利益金額を比較すると、
「非常に良い」が1番高くて、「良い」、「可」の順に低くなる。
こういう想像通りの結果が出ると、ちょっと嬉しい。
「新品・ほぼ新品」はサンプル数が少ないのでなんとも言えないが、
あまり高くないはず。
これは元々中古とは違う仕入れ基準で仕入れているから。

中古CD・DVDの場合は、ビニールをはずして、
中をじっくり見てみないとコンディションがわからない。
ディスクは研磨すればよいし、ケースは交換すればよいが、
紙物やデジパック、レーベル面のダメージはお手上げ。

同じ価格で仕入れた同じ商品でも、「非常に良い」は強気な、
「可」は弱気な価格で出品する。だから差が出る。
格差是正のために、とりあえず帯付きはやや強気な価格で仕入れてみよう。

★★★

例えば、受験しようとしている学校の試験科目が英・国・社なのに、
数学や理科の家庭教師を頼む受験生はいないだろう。
頼んでおいて「全く役に立たなかった、金返せ」というのはないだろう。
つまり下調べをしないのが悪い。

僕もせどりコンサルを募集しようかなと思う。
自分がするのではなく、される方、つまりせどりを教えてもらう方で。
その代り、屋号を教えてもらうのはもちろん、確定申告書のコピーと
納税証明書くらいは提出してもらう。そして面接と実技の試験をする。
実技はもちろんせどりの実技だ。
商材は何でもいいし、店舗でも電脳でもいい。

そして「この人のやり方を習えば、僕でも大幅に収入が増える」
と僕が思えば合格。
1年くらいにわたって、時々アドバイスをもらう。
報酬は、うーん、50万くらいだろうか。本当ですよ。
興味ある方はメールください。

僕自身がコンサルすることに興味はあるかといえば、ない。
そんな身分じゃない、というのももちろんあるが、
出品物の多くはブックオフでセールなしで仕入れたものだ。
そこに(つまり出品タイトルと価格とコメントに)、
すでに僕のノウハウのほとんどが詰まっている。
ただしそれは、5年かけてコツコツ積み上げてきたノウハウでもある。

★★★

現実的にブックオフがせどらーを排除するとなった時に、
どこでせどらーと非せどらー(一般客)を区別するか?
機器の使用か、買い物の量や種類か、服装や態度か。
結局は主観になるだろう。
もちろん「完全にクロのみをせどらーとする」から
「疑わしきはせどらーとみなす」まで、人によって幅はあるかもしれない。

結局はせどらー側も店員側も「どこまで腹を括るか」だと思う。
別に喧嘩しろと言ってるわけじゃないですが。

★★★

某店に5万円のプレミアCDがあった。
ジャケット痛みで1,000円引き。
ワンデーを使えば、44,100円の仕入れ値になる。

アマゾンはこんな感じ

ヤフオクの相場は6万くらい。
迷って「見」したが、来月あたりぽろっと買っちゃうこともあり得るので、
タイトルは一応秘密。

★★★

眠れるわけないだろうな

僕はさほどゲームのことに詳しくないのだが、
一時ゲームくらいしかやることが無かった時期
(ひと言でいえば暗黒ニート時代)があって、
その頃にちょうど彼が活躍していたので、彼のことは結構知っている。
ついでにトリヴィアを挙げるなら、「ICO」や「ワンダと巨像」の
上田文人もワープの出身だ。

といっても、プレイしたのは「Dの食卓」と「エネミー・ゼロ」だけで、
エネミー・ゼロ」の方は難しくて途中で放り出してしまった。
だから正直、ゲーム作家としてはさほど評価していない。
どちらかというと、大槻ケンジが言っていたように、
「アングルの人、つまりプロレスラー」という印象の方が強い。

それでもセガサターンで「Dの食卓」をやった時はかなり衝撃だった。
カニバリズムを扱ったシナリオも驚いたし、
SEやエンディングの曲も、スーパーファミコンまでには
ない種類のものだった。
青臭くもあるが、好き放題やっている清々しさがあった。
そして、自分とほとんど年が変わらないことを知ってまた驚いた。


実家のどこかにあるはずだが、探すことも、読むことも、
売ることもないだろう。
この本は彼の記録であり、僕自身の記憶でもある。
さようなら、飯野賢治