非日常、バス、自分用

先週くらいに「パリに観光客が戻っている」というニュースを読んだ。去年からテロが続発したトルコでも外国人旅行者が大幅増加。それどころか、アメリカ人が北朝鮮に駆け込み訪朝しているらしい。正直「よく行くな、怖くないのかな」と思わなくもない。

パリに観光客戻る、今年上半期で10%増 テロ後の苦境克服
トルコの外国人旅行者、7月は前年比46.4%増加 13年ぶり大幅増
米旅行者が「駆け込み訪朝」、9月1日の渡航禁止前に

もちろんテロなんてめったに遭うものではないし、地震と同じで「大きいのがあったところは逆にしばらくは安全」という考え方もあるだろう。ある程度落ち着いたならば、結局行きたい時に行きたい場所に行くのが一番なんだろうな。人生は短い。

じゃあ同様に「食べたいものを食べたいだけ食べるのが一番」かというと、この場合は数値的・外見的なストレスが付随してしまう。ウジウジと悩んでほどほどで妥協するのが凡人の最適解ということにしておこう。

火曜日。
いつも通り昼に起きてスマホを見ると、ミサイルが飛んでいた。思えば、過去の天災や人災や体制の変化において、僕の日常を大きく変えたものは何もない。東日本大震災では、心的な影響がそれなりにあったとは思うが、それでも帳簿を見ると3月22日から普通に仕入れを再開している。結局、非日常というのはモニターや活字の中の世界でしかない。非日常を体験すると、本当のところ、ひとはどのように変わるのだろうか。

ジムから戻って昼食にそうめんを食べ、仕事に戻ると某大手が大量値下げしていた。これはS(せどり)-アラート発令。すっかり出遅れたのと、途中で居眠りしてしまったせいで逃した分も多かったが、それでも30点ほど買えた。

「メディア製品(書籍・CD・DVD)に関する重要な変更案内(2017年8月)」メールあり。3回読んだけれどよく分からなかった。

水曜日。電車で仕入れ4軒。
2軒目を出たところで夕立。バスで移動しようと思ったが、どうもよくわからない。ここは次発と次々発のバスがモニターに表示されるシステム。時刻表を見るとあと5分ほどで次のバスが来るはずなのに、表示には出ていない。バスのシステムというのはそれなりに長い歴史があるはずなので、これ以上の進化は望めないのかもしれないが、なんか納得いかないことが多い。仕方なく電車移動にした。珍しく4軒とも5K以上買えて、21点で42Kの仕入れ。

3軒目でサチモスのアルバムがあったが、アマゾン新品と150円くらいしか違わないので買わなかった。別に若者ウケしたいわけではなく、こういう音楽が好きなのです。本当に。

せどりのついでに自分用のCDを買うことは、昔も今も大きな喜びなのだが、最近はとんと減った。だってほとんどマケプレの方が安いんだもの。

木曜日。
プールで泳いだ後、友人と飲み。つまみはもちろん居酒屋のテレビで見るサッカー。周囲の客も適度に盛り上がり、適度に無関心で程よい感じ。5、6杯で切り上げて10時頃帰宅。ベッドで横になっていたら寝てしまい、深夜1時くらいに起きる。すると急に頭痛と吐き気、脂汗ダラダラ、寒気とめまいもする。少し前にも、このような急激で原因不明の体調不良があった。しばらくしたら落ち着いたのでじっと横になり、ひたすら体を休める。

確か平野啓一郎だったと思うが、子供の頃に、若くて健康な父親が、昼寝をしていたらそのまま死んでしまった、というのをインタビューで読んだ記憶がある。たまに、1年に2回くらい、寝る時にそのことを思い出す。そして朝が来ないことを考える。別に神に祈ったりするわけではないのだが。

金曜日。電車で仕入れ4軒。
体調はすっかり、嘘のように、何かの手違いだったかのように回復。この日の仕入れはまずまず普通に買えたと思うが、まだ集計していない。代わりにたまには仕入れたものを晒してみる。池袋にて。

単行本は、まったく売れていなかった……ジョージ秋山『浮浪雲』連載終了に安堵の声も
なんだかひどい言われようだが、それよりも驚いたのは

日本雑誌協会の公表しているデータによれば、今年4月〜6月期の「ビッグコミックオリジナル」の発行部数は50万部。「ビッグコミックスピリッツ」の14万5,833部。「モーニング」の20万8,358部から比べるとはるかに多い。

まさか「モーニング」の倍以上売れてるとは知らなかった。ちなみに「オリジナル」ではないただの「ビッグコミック」は29万部。ヤンジャン53万部、ヤンマガ39万部。

他に優先することが色々とあって、8月の集計がまだ出せていない。売上は普通くらいで、仕入れはちょっと悪いくらいだと思う。仕入れの金額ベースでのブックオフ比率は約3割と非常に低かった(通常は5割くらい)。これではとてもブックオフせどらーを名乗れないので、9月はちょっと頑張りたい。「ブックオフせどらー」というのは、僕にとってひとつの(ややサビついた)称号なのです。